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【第四回】論争の余地なきおすすめの本ーハンナ・アーレント『全体主義の起源3』

【第四回】論争の余地なきおすすめの本ーハンナ・アーレント『全体主義の起源3』

 

こんにちは。

いつも当ブログをご覧いただきまして誠にありがとうございます。

 

北畑淳也と申します。

今回も第四回といたしまして、引き続き「論争の余地なき」という傲慢なタイトル付けで書評を書かせていただきます。

 

私は学者でも専門家でもないのであくまで参考までに読んでいただければと。

今回紹介する作品は「20世紀の記念碑的著作」と呼ばれたハンナ・アーレントの『全体主義の起源3』です。

 

この著作は、3分冊からなる大論考なのですが、彼女の師匠でもあるヤスパースが述べたように、第3巻だけでも彼女の伝えたいことがまとまっており、彼女の思想にまずは触れてみたい方は3巻から読むことを推奨しています。


今日は、その流れをくみ第3巻をご紹介せていただきたいと考えています。

以下の流れで書かせていただきます。


  1. 「全体主義」とは何か?〜我々にも極めて身近なもの〜

  2. 今の世の中から消滅している最も大切なものとは?

  3. 合わせて読みたいおすすめの本


 

 

「全体主義」とは何か?〜我々にも極めて身近なもの〜


「全体主義」という言葉を聞いた時にどういうものをイメージしますか?

 

おそらくヒトラーをイメージする人が多いのではないでしょうか。
そしてその言葉になんとなく悪いイメージを持っているかもしれません。


私自身『全体主義の起源3』を読むまでそのような認識でした。

 

ただ、この本を5回も6回も読んでいくともう終わった昔話という気がしないのです。

 

むしろ今の政治に留まらず、今の我々の身近なところでも全体主義ははびこっているのではないかと私は考えています。

 

 

確かに、アーレントはヒトラーを「全体主義を導入した最も代表的な人物」としてあげています。そして著書の大部分にヒトラーや彼の作り出したナチスについての考察に当てています。

 

しかし、繰り返しになりますが、私は歴史のお勉強をするためにこの本をおすすめしたいのではありません。我々の日常でこのような暴力的なことが頻発しているのではないかということを考えるきっかけにしてもらいたいのです。

 

今回、すべてを紹介する紙幅は全くありませんので、全体主義に関する代表的なエッセンスだけ紹介するに留めます。

 

では、早速ですが「全体主義」とはなんなのか?ということについて少しだけご紹介いたします。

 

まず、「全体主義」というものが起こりやすい社会というものがあるとアーレントは述べます。
疑いもなく全体主義運動はそれ以前の革命的な政党や運動よりもラディカルに既成の諸関係に戦いを挑んだ。・・・勿論この過激性の原因の一半は、根無し草と化し現状の存続を何にも増して恐れている大衆の心の底に潜む熱望にある。

ハンナ・アーレント『全体主義の起源3』

 

根無し草な人で溢れる社会において「全体主義」というものは現れやすいとここでは書かれています。

 

このことは手を替え品を替え別の箇所でも述べられており、「全体主義」は一人の人間が孤立させられているところに現れて来るのだとアーレントは述べます。

 

そしてアーレントはその根無しの人というのが今日非常に溢れていると述べるわけです。

非全体主義の世界の中で人々に全体主義支配を受け入れさせてしまうものは、普通は例えば老齢というようなある例外的な社会条件の中で人々のほめる限界的経験だったlonelinessが、現代の絶えず増大する大衆の日常的経験となってしまったという事実である。
ハンナ・アーレント『全体主義の起源3』

 

 

*階級社会が崩壊し大衆社会になった時、全体主義は非常に生まれやすくなったようです。


*これはどういうことか補足しますと、階級社会の場合、個人は社会によりいかにして生きるべきかや行動規範が厳格に定められています。それ故に、これは重荷である一方で、互いが互いを「相異なる存在」と認識しているため、すべての人が同じ行動原理を選択する全体主義に陥る可能性はおおよそないのです。
(このメカニズムに関してはぜひ著書を読んでいただきたい)







つまり、大衆社会では、人間は孤立しやすくなるのです。
で、これの何が問題かというと、「あらゆるものが疑わしく感じられるようになる」という状況になるところにあります。

そして、そのような形で孤立した人というのは信じられるものが一つしかなくなるとアーレントは述べます。


ここが非常に重要なポイントです。

それは論理的推論の能力です。

 人間の精神の能力で、確実に機能するために自己も他者も世界も必要とせず、経験にも思考にも依存していない唯一のものは、自明性を持ってその前提とする論理的推論の能力である。否応のない自明性の基本的原則、2+2=4という自明の理は、絶対的なlonelinessの元においてすらもまげられることはあり得ない。

ハンナ・アーレント『全体主義の起源3』


 

これは、例を挙げると「2+2=4」のようなものなのですが、これはいかに孤立した状況においても不安を抱かない唯一の<真理>なため我々が信頼を寄せてしまうものとなってしまうようです。

 

そしてこの「論理」は何がすごいのかということですが、実は何も「意味」を持たないにもかかわらず、極めて多くの人を一つにまとめ上げる力を持っているというところにあります。

 

もうお分かりかもしれませんが、「全体主義」とはある論理過程に多くの人間をひとまとめにして行われる「運動」のことを指すのです。そして一度これに飛びつけば、抜け出すことは容易ではありません。

さらに恐るべきはこの恐ろしい「全体主義の起源」は孤立した我々の現状にすでにあるのです。






もちろん我々は論理なくして生きていけません。

 

しかし、その論理が明日には破綻したり間違いであるということが明らかになる時代に生きる私たちにとって「論理的」であることは自殺行為であることが多々あるのです。

内容がいかに荒唐無稽であろうと、その主張が原則的にかつ一貫して現在及び過去の拘束から切り離されて論証され、その正しさを証明しうるのは不確定の未来のみだとされるようになると、当然にそのプロパガンダは極めて強大な力を発揮する。このようなやり方は、過去が疑わしく現在が耐え難くなった危機の時代には必ず威力を揮うものなのである。

ハンナ・アーレント『全体主義の起源3』



今の世の中から消滅している最も大切なものとは?


今回のレビューでお伝えしたい要点というのは一つで「あらゆる価値観や論理が明日にはおかしくなりうる社会においては常に思考を続けないことはその意志とは関係なく愚行につながるということ」をこの本からは学べるということです。

 
*アインヒマンが我々他の人間と違っていたのは、彼には明らかに、このような思考を働かせることをまるで知らなかったということだけなのである。

 このような思考の欠如というのは、我々の日常生活では極めてありふれたことであるのだが、そうなるのは立ち止まって考える時間もほとんどないし、ましてや、そうしたいとも思っていないからである。しかし、これこそが私の興味を引いたことである。<悪をなすこと>(作為による罪も不作為による罪も)は、「邪悪な動機」(法律で言われるような)がなくてもできるというだけでなく、また何か特別な差し迫った利害なり意志が何もなくても可能なのではないだろうか。悪意というのをどう定義するにせよ、このような「悪への意志」というのは、ひょっとしたら悪しき行為にとって何ら必要条件ではないのではないか。

ハンナ・アーレント『精神の生活 第1部ー思考ー』


*アドルフ・アインヒマン・・・ナチスにおいて何十万、何百万とも言える大虐殺を敢行した人物。イスラエルの法制上で唯一の死刑囚と言われている。アインヒマンがそのような虐殺をできた理由としてアーレントはナチスの生み出した論理に屈服し思考停止をしたことを上げる。そしてアインヒマンへの考察を深める中で、アーレントは、「悪の陳腐さ」という表現を提唱し、我々に明確な悪意がなくても途方も無い愚行を犯してしまうということを提起し世界に物議を醸した。

 

 

そういった背景もあり、私は『全体主義の起源3』という書物は21世紀の予言書だと考えています。


ところで、こういった時代において我々は思考を続けることこそが重要だと述べましたが、この思考という言葉を誤解してはいけません。



「思考」という言葉の偏見に蝕まれる我々はしばしば「孤独」、「自我」といった言葉につられ一人で考える人をイメージしてしまいます。私もそのような定義が自分の中にありました。




しかし、アーレントの考える「思考」は全く異なります。
一見語義矛盾に見えますが、「対話」や「話す」というところに宿ります。


マルクスがヘーゲルの歴史哲学・・・から引き出した結論によれば、あらゆる伝統的解釈とは逆に、活動praxisは、思考(thought)の反意語などでは全くなくて、リアルな真の思考の媒体だったのであり、政治は、哲学的威厳など微塵も帯びていないというのでは決してなくて、本質的に哲学的唯一の活動力だったのである。

ハンナ・アーレント『政治の約束』

 

 
アーレントがこの意味での「思考」にこだわるのは、ここまでの流れを組めば明確ですが人間は一人でいる時、演繹的に常に最悪の考えを抱いてしまうからに他なりません。


私の主観で恐縮ですが、現代社会というものは、このアーレントの述べた意味での「思考」を行う場が極めて少ないです。


それ故に多くの人がなんらかの論理に捉えられその運動から抜け出せなくなっています。



私はこの世の中に今必要なものそれは「論理」を常に吟味することができる思考の場だと考えています。


 

合わせて読みたいおすすめの本


今回、ご紹介した『全体主義の起源』と合わせて読んでみると面白いと思う本を最後にリストアップしておきます。

 

非常におすすめの著書ばかりですので、ぜひご覧になってみてください。

ハンナ・アーレント『政治の約束』

フリードリヒ・ニーチェ『偶像の黄昏』

カール・ヤスパース『哲学』

セーレン・キルケゴール『現代の批判』

エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』

エディエンヌ・ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論』

 

みんなで本を読むから楽しいので読書会へというのも悪くないですが、私は真の思考の場として読書会をおすすめしています。


もしよろしければ興味のある読書会に参加してみてください。

今回もお読みいただきまして誠にありがとうございました。


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