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【第八回】論争の余地なきおすすめの本ーオルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』ー

【第八回】論争の余地なきおすすめの本ーオルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』ー

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

北畑淳也と申します。

本日も書評担当として一冊ご紹介できればと思います。

 

今日ご紹介するのは高校時代に現代社会や公民の授業を受けた人であれば聞いた事があるであろうオルテガの『大衆の反逆』です。

 

本記事ではなぜこちらが私にとって論争の余地なきおすすめの本であるのかをお話いたします。

  1. オルテガによる大衆分析
  2. 近代イデオロギーの物の見方に毒されている現代人
  3. 合わせて読みたいおすすめの本

 

オルテガによる大衆分析

まず「大衆」という言葉を聞いてどのようなイメージを持つでしょうか。

 

おそらく一般的には「何か上から目線な印象」という人が少なくないでしょう。

確かにそういうコンテクストで使われることもあるかもしれません。

 

しかし、それについて、オルテガは自らの論を読む上で、まずそのような印象を持たない事を求めます。

 

ところがこれとは逆に、以前ならばわれわれが「大衆」と呼んでいるものの典型的な例たりえた労働者の間に、今日では、錬成された高貴な精神の持ち主を見出すことも稀ではないのである。
オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』

 

 

旧来の「貴族」と「大衆」という社会的階層に基づく二項対立でオルテガは「大衆」という言葉を使っていません。そしてそのような理解を禁忌しています。

 

 

というのも彼によれば、旧来であれば「大衆」とカテゴライズされていた労働者の中にも高貴な精神の持ち主を発見できるのだとか。

 

 

 

 

では、彼が見出した「大衆」とはいかなる人間たちを指すのか?

それについては下記の有名な箇所を引用いたします。

 

大衆とは善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。
オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』

 

 

オルテガは「大衆」というものをこう考えました。

「すべての人」と同じであることに喜びを見出すすべての人のことだと。

 

 

オルテガの主張を鑑みて具体例をあげましょう。

 

 

よくあるのが、例えば、プロスポーツ選手が少し調子が悪いときのネット上のコメントです。

 

  • 「あいつは終わった」
  • 「引退しろ」
  • 「俺の方がマシ」
  • 「あいつはダメだと思ってたんだよね俺」

 

という趣旨のコメントが増えますよね。

 

 

なぜあれほどまでに怒り狂ったり人の不調を喜ぶのか私も気になりますが、おそらくオルテガの分析と非常に密接に関係があります。

 

彼らが怒り狂うのはおそらく「すべての人」と同じでない人に対するルサンチマンが発生したからだと考えられます。明確に引き摺り下ろそうという精神の傾きが見られます。

 

 

まさにオルテガの述べた典型的な大衆人な訳です。

こういった大衆人がいかに恐ろしいのかということをオルテガは序論の結部で述べています。

・・・大衆はいまや、いっさいの非凡なるもの、傑出せるもの、個性的なるもの、特殊な才能を持った選ばれたものを席巻しつつ有る。すべての人と同じでない者、すべての人と同じ考えかたをしない者は締め出される危険にさらされているのである。ところがこの「すべての人」が真に「すべての人」でないことは明らかである。かつては、「すべての人」といった場合、大衆とその大衆から分離した少数者からなる複合的統一体を指すのが普通であった。しかし、今日では、すべての人とは、ただ大衆を意味するにすぎないのである。 以上、現代の恐るべき事実であり、その偽りない残酷な実相なのである。
オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』

 

 

オルテガが分析の結果出した一つの答えの恐ろしさがここには書かれています。

 

大衆が「すべての人」と述べるとき、「すべての人」に一致しない人を抹殺することで「すべての人」がすべての人であると言い張ろうとするということです。

 

近代イデオロギーの物の見方に毒されている現代人

では、なぜこのように自らへ同化させようと大衆は考えてしまうのか?という疑問が湧いてくるかもしれません。

 

 

その理由はオルテガの意図をくむならば、大衆人が近代イデオロギーの作り出した「進歩史観」に支えられた奇妙なうぬぼれを持っているからに他なりません。

*ちょっと先ほどと話が変わっているように見えるかもしれませんが、本質は同じです。

 

つまりは、「現代に生きている自分は過去のいかなる時代(の人物)よりも優れているはずだ」という傲慢な考えを大衆人は持ち合わせているということです。

 

*ちなみにこの考え方の発祥はヘーゲルやダーウィンにあると言われています。

そして、結論としては、われわれの時代の特徴は、自分が過去のあらゆる時代以上のものであるとする奇妙なうぬぼれを持っているということ、いやそればかりではなく、いっさいの過去に不関知なるがゆえに、古典的規範的な時代を認めないのではなく、自分自身をすべての過ぎ去った生に優るとともにそれらには還元しえない一つの新しい生であるとみなしていることを指摘した。
オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』

 

 

過去に対する尊敬の念を失っているという現代の大衆人に対するオルテガの指摘をどう思いますか?

 

 

私は妥当だと考えています。

あなたの周囲にあなたに対して不寛容な人が仮に増えていると感じるのであれば、それはひょっとすると自分と違うことを一切認められない大衆人の発想が内包されている可能性があるのです。

 

 

合わせて読みたいおすすめの本

現代社会はその閉塞感から口を開けば「改革」という人がメディアに溢れかえり、個人に目を向ければ「とにかく変わらなきゃ」と考える人が多いように見えます。

 

 

そんなに今をぶっ壊さなければならないほど愚かな状況なのでしょうか。

 

 

 

私は「変化をするな」と言いたいのではありません。

ただ、「変化自体」に価値をおくことは堕落した企てなのです。

 

しかし非常時代においても、変更を加えるのは「現にうまく機能していない箇所」「従来の原則からの逸脱を必要とする箇所」に限られるべきだ。また当の変更によって、国のあり方全体が崩れるようでは話にならぬ。重要なのは、これまでの社会機構をなるべく温存しつつ、新しい安定的なシステムを作り上げることである。
エドマンド・バーク『フランス革命の省察』

 

変化がいいものであるようにするためには過去に対する尊敬が必須で「温存すべき箇所」をまずは特定すべきです。何も考えずに「ぶち壊せ」という発想は、オルテガの指摘する典型的な大衆人であり、近代イデオロギーの負の側面を表象していると言ってもいいでしょう。

そして結果として金太郎飴のようななんの個性もない人格が出来上がってしまう可能性があるのです。

 

いかに時代が「激動の時代だ」と言われようともまずは「今ある自分」を尊重し、どうしてかくあるのかという過去に対する敬意を捨ててはならないのです。 

 

それがあなたをあなたらしくする一番の方法だと著書の中でオルテガは述べていました。

 

今回本記事を書くにあたり合わせて参照した著書をおすすめの書として載せましたので興味がある方は参考にして頂けますと幸いです。

 

フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』

ハンナ・アレント『過去と未来の間』

デカルト『方法序説』

エッカーマン『ゲーテとの対話』

エドマンド・バーク『フランス革命の省察』

福田恆存『保守とは何か』

中江兆民『三酔人経綸問答』

福沢諭吉『学問のすゝめ』

三島由紀夫『文化防衛論』

山本七平『日本人とは何か』

 

以上となります。

 

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