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【第九回】論争の余地なきおすすめの本ー福澤諭吉『学問のすゝめ』ー

【第九回】論争の余地なきおすすめの本ー福澤諭吉『学問のすゝめ』ー

いつもRead For Actionを応援いただきまことにありがとうございます。

本日書評担当いたします北畑淳也と申します。





今日は、9回目ということで、たまには日本の思想家を扱おうと思い本棚をいろいろ物色しました。







で、選んだ人物ですが、歴史上の人物としての認知度は非常に高い福澤諭吉です。

名前は一万円札にもなっていますし、大体の人がご存知かと思います。





福澤諭吉というとどのようなイメージをお持ちでしょうか。



文明開化をとき、西洋への留学や翻訳業もこなすなどとても国際感覚豊かな人であったという印象が一般的かもしれません。

他には啓蒙思想家というイメージでしょうか。









確かにそのイメージは正しい部分が多分にあります。

しかしながら、日本の思想史において福澤諭吉の偉大さはそこに宿っているのではありません。





今日は、『学問のすゝめ』を少し変わった角度から書評を書かせていただきます。





あらかじめ断っておくと、福澤は今の多くの日本人の動きを痛烈に時代を超えて批判しています。


  • グローバル時代になぜこれを読んでおくべきか

  • 福澤諭吉の思想的立ち位置

  • 『学問のすゝめ』と合わせて読んでおきたいおすすめの本





  • グローバル時代になぜこれを読んでおくべきか





    「これからはグローバル社会だ!いつまで日本人は内向きなんだ。」

    「日本人は英語力が足りないからもっと英語を勉強しないとこれからは厳しい」

    「やばい。みんな留学しているし俺も留学しなきゃ」





    グローバル化と言われてもう久しいですね。



    こういう声というのはやまないものです。





    電車を乗れば英会話スクールの広告がいっぱいですし、本屋に行けばどうすればグローバルに活躍できるかみたいな本で溢れています。





    そういう広告が出たり本が売れるのは需要があるからなのでしょう。

    みんなが学ぼうとするのはいいことです。



    福澤諭吉も『学問のすゝめ』の冒頭で以下のよう述べています。



    「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。 しかし、この人間の世界を見渡してみると、賢い人も愚かな人もいる。貧しい人も、金持ちもいる。また、社会的地位の高い人も、低い人もいる。こうした雲泥の差と呼ぶべき違いは、どうしてできるのだろうか。・・・・賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのだ。

    福澤諭吉『学問のすゝめ』





    すべての人は平等に作られていてそのあらゆる違いは学ぶか学ばないかで決まると。







    ただ、何を学ぶかも大事なんです。



    『学問のすゝめ』を「学問をしなければならない」という論旨だけで読み終えるのは非常にもったいないと私は考えています。



    ここからが重要です。



    文明開化や西洋賛美の一般的な福澤イメージからすると以下のような言葉は意外に見えるかもしれない言葉を紹介します。

    あるものを採用しようとすれば、ゆっくり時間をかけて考え、だんだんとその性質を明らかにしてから、取捨選択をすべきである。なのに、最近の世の中の様子を見ると、中程度以上の改革者たち、一人がこれをいえば、皆それに倣い、およそ知識道徳の教えから、政治・経済・衣食住の細々としたことに至るまで、全て西洋のやり方を慕って、これを手本にしないものはない。・・・ひたすら古いものを捨てて、新しいものを求めているようだ。なんと、物事を信じるのに軽々しく、疑い方の粗忽なことよ。

    福澤諭吉『学問のすゝめ』




    意識するかせざるかは知りませんが、現代の日本においてはこの福澤が述べた当時と全く同じ状況のことが起こっています。





    西洋式のメンタリズム、西洋式の経営法、英語学習などをこぞって学ぼうとし行列をなしています。



    一方で、「日本のやり方は全部ダメ」という誇大妄想にとらわれている人も少なくありません。





    興味深いことに全く同じことをエドマンド・バークという人物も述べているんですね。

    フランス革命という「歴史の転換時期」に際して、過去を否定する革命派を痛烈に批判した言葉ですが、他人事ではありません。



    自国の過去を全否定する誇大妄想や独善から、どれほどのメリットが得られたか、具体的に考えてもらいたい。革命の指導者たちは、自国の祖先を軽蔑し、同時代人も軽蔑した。彼らは自分たち自身のことも軽蔑するに至り、ついには文字通り軽蔑に値する存在に成り下がった。

    エドマンド・バーク『フランス革命の省察』




    バークだけでなく、モンテスキューやゲーテ、日本だと内村鑑三やら中江兆民らが述べています。





    自らの過去を省み良さと改善点をしるという学問なくして真に前進することなどありません。





    口で言うと「そんなの当たり前じゃん」と思われるかもしれません。





    しかしながら、世の中を見渡して見れば「グローバル人材」と叫びながら自らを西洋人と同化させようとする人が少なくないのです。





    「グローバル化は既定路線だ!」

    「日本はだめだ。海外に打って出ろ!」







    特定の人物をあげることは控えますが、こういうことをいうリーダーが増えてきているのは揺るがざる事実でして、逆に私のような考え方は「馬鹿」「化石人類」と呼ばれるわけです。







    それでも「時代のトレンド」なるものに抗って言うなら、お国がどんなに衰退の危機にあろうともお国のために尽くすのは義務だと私は考えています。









    そのために必要なのはすでに出ている「学問」なのですが、その進め方について福澤は懇切丁寧に教えてくれています。



    ・・・さらにひどいものになると、信じるべき新しいものをまだ知らないうちから、早くも古いものを捨てて、まるでからっぽになってしまい、精神の安定を失って遂には発狂する者も出現するに至る。哀れむべきことだ。・・・・このように雑然とした混乱の中にあって、東西の事物を良く比較して、信ずべきことを信じ、疑うべきことを疑い、取るべきところを取り、捨てるべきところを捨て、それをきちんと判断するというのは、なんとも難しいことである。そして、今この仕事を任せられるのは、他でもない唯一我々のように学問をする者だけなのだ。学問をする者は頑張らなくてはならない。

    福澤諭吉『学問のすゝめ』




    当時と違って帝国主義諸国の差し迫った軍事的脅威もないのに、自ら進んで取るべきところも捨てようとしていらないものばかり取り込んで平衡感覚を喪失している日本人は少なくないのです。





    福澤諭吉の思想的立ち位置



    福澤に対する先入観があるといまいち大切なところを見落としがちなので少しだけ補足できればと思います。



    冒頭に述べたように福澤というと新政府側の人間とされ、かつ西洋を賞賛した記述も多数あることから欧米賛美かつグローバリスト的な人物であると勘違いされがちです。

    (事実私がそうでした)





    しかしながら、事実は全くの逆で、極めて保守的で急進的な思想を嫌う人物でした。(すでに引用した文からもある程度ご理解頂けるかもしれません。)







    多分、誤解される原因の一つとしては批判していた幕府側が鎖国を貫いてきた徳川体制だったことが非常に大きいように思われます。



    二項対立的にはそう考えたくなりますよね。







    ただ、物事はそんなに単純ではなく、実は新政府側の尊王攘夷論者も批判してたんですね。





    福澤の考えは両者とも異なっていました。



    しかしながら、福澤もまた尊王攘夷論者だったのです。





    どういうことかを説明する前に尊王攘夷という言葉について少しだけ補足します

    尊王攘夷という言葉は歴史では学んだコトがあるかもしれません。



    ネットの辞書で意味を調べるとこう書かれています。

    日本で江戸末期、尊王論と攘夷論とが結びついた政治思想。朱子学の系統を引く水戸学などに現れ、下級武士を中心に全国に広まり、王政復古・倒幕思想に結びついていった。勤王攘夷。尊攘。

    『コトバンクより』






    今や死語ですが、王政復古や倒幕思想につながった思想と書かれています。

    おそらく教科書で学んだ段階だと単なるテロリスト集団だという印象をお持ちの方も多いでしょう。







    福澤自体が尊王攘夷論者に命を狙われていたこともあり、『福翁自伝』では尊王攘夷論者には頭のおかしいやつがたくさんいると書いています。それ故に福澤をこれらと対極の位置にいる人物だと考えるのが一般的なのです。





    しかし、福澤は今しがた述べたように尊王攘夷論者なのです。





    わかりやすく当時の構図を書きますと以下です。



    江戸幕府側 鎖国・尊王攘夷(尊王対象は徳川将軍)

    新政府側  鎖国・尊王攘夷(尊王対象は天皇)

    福澤諭吉  開国・尊王攘夷(尊王対象は天皇)









    一見「開国」(外国人を受け入れること)と「尊王攘夷」(君主を尊び、外敵を斥けようとする思想)は形容矛盾に見えるかもしれません。



    しかしながら、これが彼なりのグローバル化に対しての向き合い方だったのです。

    道理がある相手とは交際し、道理がない相手はこれを打ち払うまでのこと。一身独立して一国独立する、とはこのことを言うのだ。

    福澤諭吉『学問のすゝめ』




    「受け入れるべきものは受け入れ、打ち払うべきものは打ち払え」と文字にしてみれば簡単ですが、極めて今の時代において重要なことを福澤は生涯を通して伝え続けたのでした。







    別にグローバル化したからといって脊髄反射的にアメリカ型の経営を学ぶ必要もなければ、東南アジアに飛び込む必要もないのです。




    『学問のすゝめ』と合わせて読んでおきたいおすすめの本



    福澤と合わせて読んでおきたい江戸後期から明治初期の思想家でおすすめと思ったものを下記に書かせていただきます。





    福澤諭吉 『福翁自伝』

    伊藤仁斎 『童子問』

    荻生徂徠 『政談』

    幸徳秋水 『二十世紀の怪物 帝国主義』

    中江兆民 『三酔人経綸問答』

    岡倉天心 『茶の本』

    山本七平 『日本人とは何か』




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