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【第十一回】論争の余地なきおすすめの本ー伊藤仁斎『童子問』ー

【第十一回】論争の余地なきおすすめの本ー伊藤仁斎『童子問』ー

北畑淳也と申します。



今回も論争の余地なきおすすめの本をご紹介できればと思います。

今日は、日本近代思想の源流伊藤仁斎を扱います。



さて、いきなりですが、今の日本というのは大転換期と言われていますよね。

明治以来とも戦後以来とも言われています。





さて、その明治維新を経て日本は近代国家への仲間入りをしたわけですが、一般的に教科書などを見ていると明治日本の誕生は外圧(ペリーだの何だのと)により生まれたと誤解されがちです。





確かに部分的には外圧の影響もあるでしょう。

そして立憲主義などの思想は海外から入ってきたことはほぼ間違いありません。







しかしながら、全てが海外から輸入されたという見なしは悪く言えば属国根性と言って良いでしょう。





もし仮にそれが正しいとすると今頃公用語は英語になっているでしょうし、日本の文化なんてほとんど消え去っています。

ですから、そうさせなかった日本の思想があったと考えるのが妥当です。





要するに、日本には日本の「近代化」なるものがあったということですね。そしてその思想は鎖国下の日本で生まれていたのです。





前置きが長くなりましたが、、、

その近代国家としての雛形を提唱したのが荻生徂徠という人物なのですが、この人物に最も影響を与えたと言われているのが今日ご紹介する伊藤仁斎という人物です。







つまり、本人はおそらく全く意識もしていなかったでしょうが、日本の近代思想の源流と言っても良い人物なのです。



今日は、その伊藤仁斎及びその著書の『童子問』の意義をダイジェストで書いていきます。

  • 伊藤仁斎の思想について

  • 『童子問』は西洋哲学の数百年先を行っていた

  • 合わせて読みたいオススメの本



  • 伊藤仁斎の思想について



    伊藤仁斎とは何者かというのは日本史を受験の時にしたことがある方なら多少知ってる方も多いらしいです。(私日本史やったことないのでわかりませんでしたが)



    彼の思想は一言で言えば「古学」(派)であり、古典を自らの手にとり自分の解釈を出そうというものです。

    それ故に彼は、孔子と孟子を死ぬほど読んだのです。

    これには少し背景がありまして、仁斎が生きていた時代に流行った学問に「朱子学」というものがあり、これは一言で言えば、「理」というものを重んじる学問でした。



    私はこの辺は疎いので、朱子学とは何かについて少し引用します。

    周敦頤 (しゅうとんい) ,程 顥 (ていこう) ,程頤 (ていい) ,張載 (ちょうさい) などの思想を,仏教や道教に触発されながら体系化したもので,宋以後の中国,朝鮮,日本の中核的思想となった。その思想は,万物の構成原質である「気」と,万物の理想的なあり方を示す「理」とを中心とする。天地,人性,道徳のすべての事象がこの理と気によって説明される。それはまた,当時の士大夫の存在意義,その目指す方向を,宇宙論的規模での理論づけに成功したものであり,それゆえこの思想は,以後の士大夫社会に常に安定した力をもち続けた。朱子学は,中国では元以後,日本では江戸時代に官学となった。

    『朱子学とは』ーコトバンクよりー

    https://kotobank.jp/word/%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD%A6-77700

    朱熹は、それまでばらばらで矛盾を含んでいた北宋の学説を、程頤による性即理説(性(人間の持って生まれた本性)がすなわち理であるとする)や程顥の天理(天が理である)をもとに、仏教思想の論理体系性、道教の生成論および静坐という行法を取り込みつつも、それを代替する儒教独自の理論にもとづく壮大な学問体系に仕立て上げた。そこでは、自己と社会、自己と宇宙は、理という普遍的原理を通して結ばれており(理一分殊)、自己修養(修己)による理の把握から社会秩序の維持(治人)に到ることができるとする、個人と社会を統合する思想を提唱した。

    『朱子学』ーウィキペディアよりー

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD%A6

     




    私の方で下線を引いたのですが、「理論付け」というところが朱子学のコアの部分で、学びを深めた結果「普遍的真理」を抽出するという考えを重視したのが朱子学なのです。



    そして、その「理」の把握を進めることこそ社会秩序の安定化につながると朱子学は考えたそうです。



    で、ここでいろいろ書きたいことはあるのですが、字幅もあるので仁斎の話に戻します。



    仁斎は、この「理」というものを重視する朱子学を通して『論語』などを理解することに違和感を持ったわけですね。

    人間はそんなに「理」で割り切れるのかと。



    そこで仁斎は自分で古典を読み込むことを始めるわけですが、『論語』ではどうも孔子様は感情豊かに描かれ、とても「理」で割り切れるようなものではないという結論に至るわけです。



    つまり、朱熹(朱子学)を通して『論語』を見るだけでは足りないという風に考えたわけです。



    私もどうなんだろうと『論語』をパラパラめくってみたのですが、確かに「理」っぽいものを説くところは多いものの感情豊かな孔子の様子が多数見受けられます。



    有名なところでは、最大の弟子と言われていた顔淵の死の所だったり友達が来て嬉しかったわあという何の変哲もないところにも現れています。

    顔淵 死す。 子之を哭して慟す。従者 曰く、子慟せり、と。 曰く、慟する有り。夫の人の 為に慟するに非ずして、 誰が為にせん、と。

    孔子『論語』

     


    朋あり遠方より来る、また楽しからずや

    孔子『論語』




    ちなみに冒頭で触れましたが、この仁斎の『論語』の読み直しが、驚くべきことにその後の日本の近代思想につながっていくのです。

    仁斎の影響を受けた荻生徂徠は、古典を読み直し、『論語』を元に『政談』という形で近代の国家論を書きました。



    その後、荻生徂徠の後に本居宣長だったり、中江藤樹、会沢正志斎、福沢諭吉、中江兆民などが続いていくのです。



    『童子問』は西洋哲学の数百年先を行っていた



    仁斎という人物が我々にとって教訓となるのは大きく3つあります。



    一つが、今述べてきたところでもう明快かもしれませんが「古典を遡れ」ということですね。

    誰かの解釈で満足するなと。



    そして古典は古い本ではなく、常にその読まれる時代の時々で価値を示すものであると。





    確かに読みやすい本を足がかりにすること自体は私はいいと思っていますが、仁斎の言っていることは最近自分自身が古典を読むようになってからより感じられます。



    やはり経済はアダム・スミスやマルクスを避けては通れないですし、日本の成り立ちは『古事記』を読むことなく分かり得ないということと同じです。





    一見あたりまえすぎることですが、今は「わかりやすい」本をすぐに手をとりがちな中で古学派という考えは非常に新しいといっても良いかもしれません。





    今回挙げている『童子問』もですが、中身を引用していませんが、中身は仁斎とその弟子が一緒に孔子や孟子を読んでいくという本です。





    ですので、『論語』の原文が死ぬほど出てくる本です笑

    それについては字幅もあるので紹介しきれませんので読んでみてくださいませ。





    次に2つ目ですが仁斎は学問の仕方に関して大事なメッセージをもたらしてくれています。

    それは西洋の哲学の数百年先を行くものでした。



    一言で言えば、「公共哲学」の重要性を仁斎は説いたのです。「対話」を通して学問を行うと。

    これは仁斎の若き日の経験から生まれたものでした。



    当初、仁斎は、禅をやったり、仏教に手を出したり、「ひきこもり」ながら「理」にたどり着こうとしました。

    しかしながら、全くそれらをやっても「理」とは何かがわからなかったのです。





    それで気が狂いそうな年数を長く過ごしたのちあることがわかったのです。



    人間には他者が必要だと、他者との関わりなくしては何もわからないということ。

    抽象的な理論だけを学んでいてもダメだと。



    こうして『童子問』のように他者との対話を通して「理」を紡いでいくという学問に大転換したわけです。



    ちなみにこの考えは、西洋においては20世紀のカールヤスパースが言及するまでなかった発想です。

    (そこまでの哲学は程度の差はあれすべてデカルトの思想に縛られていました。)



    今でいうとアーレント、ハーバマス、マイケルサンデルなどが有名ですが、それを仁斎は17世紀の段階でたどり着いていたのです。



    日本の昔の思想人には偉大な人がいたものだと感心させられます。



    最後です。仁斎は教えてくれています。

    偉大な思想は学者が生み出すだけではないということです。



    一般的に偉大な思想は大学の先生でなければ出せないと思われがちです。

    確かに西洋などはその傾向が強いように思います。



    しかしながら、日本はそんなことはありません。

    伊藤仁斎は町人でしたし、今も読まれる二宮尊徳を始め日本の思想の多くは庶民階級から生まれてきました。



    偉大な思想は、あなたの何気ない日常から生まれるかもしれないと。

    だから学問せよということみたいです。





    合わせて読みたいオススメの本



    読みやすい新書で思想史を学ぶもよしですが、真の理解はその人の書いた文章を読まなくてはならない。

    そう仁斎先生が言っていますから、それに沿って合わせて読みたいおすすめの本を記載いたします。



    荻生徂徠『政談』

    会沢正志斎『新論』(文庫になく国会図書館データベースで原著のみ閲覧可能。マニアのみ推奨)

    福澤諭吉『福翁自伝』

    内村鑑三『代表的日本人』

    小林秀雄『本居宣長』

    二宮尊徳『二宮翁夜話』

    孔子『論語』



    Read For Actionでは、「対話」を通して学問をするというコンセプトを元に全国で多くのファシリテーターが読書会をやっています。

    私の読書会はこなくてもいいので一度サイトをご覧になってください。




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