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【第十八回】論争の余地なきおすすめの本ーサミュエル・T・コールリッジ『方法の原理』ー

【第十八回】論争の余地なきおすすめの本ーサミュエル・T・コールリッジ『方法の原理』ー

2017年も本日で終わりですね。

本年もRead For Actionをご利用いただきましてありがとうございました。

2018年もよろしくお願いいたします。

 

来年もこちらの書評がお役に立てるよう北畑淳也精進してまいります。

前置きはさておき本年最後の書籍紹介をさせていただきます。

 

本日紹介するのはサミュエル・テイラー・コールリッジの『方法の原理』です。

コールリッジは一般的にはワーズワースなどと合わせて19世紀のイギリスにおける代表的ロマン派詩人として周知されています。

 

しかしながら、コールリッジは思想書も生涯において記しており、その思想は思想を専業とする人にも劣らない偉大なものとなっています。

 

今日は、コールリッジの思想を私なりに現代に当てはめ、現代人に鳴らす警鐘と現代人への示唆を書いていければと思います。

 


■コールリッジが現代人に鳴らす警鐘


まず、前提を整えるためにコールリッジがどういう時代の人かを少しだけお話いたします。

コールリッジは、1772年にイギリスに牧師の息子として生まれ詩人や批評家としてその生涯を送った人です。

 

詳細についてはウィキペディアか何かを見てもらえればと思いますがこの18世紀後半というのは「産業革命」というまさに時代の転換期に生きたんですね。

 

世の中は、頭のいい人の発明により蒸気機関や機械が進化し加速度的に産業が発展していきます。

 

さて、この産業革命は多くの変化をもたらしたわけですが、我々に対しては少なくない悪夢をもたらした時代でもあります。コールリッジにとどまらず、多くの智者がそのことを指摘しました。

 

その一例をハンナ・アーレントの考えから見てみましょう。
・・・いったん近代の世界観の真の意味が理解された以上、その悪夢の出現はほとんど避けられなかった・・・。これらの悪夢は、非常に単純で、非常によく知られている。第一の悪夢では、人間生活のリアリティと同時に世界のリアリティが疑われている。感覚も共通感覚も理性も信じることができないならば、私たちがリアリティだと考えているものは、すべて、単なる夢にすぎないと考えても当然であろう。第二の悪夢は、一般的な人間の条件に関するものであって、それは、人間は自分の感覚と理性を信じることはできないという新しい発見によって明らかにされたものである。

ハンナ・アーレント『人間の条件』

近代社会に生きる我々は宗教を失ったことに加え、頭のいい人が勝手に社会を豊かにしてくれるので、自分の感覚や理性は信じるに足りるものではないという発想が生まれやすい土壌があったことを彼女は指摘しています。

 

 

こういった発想を持った個人の典型例をあげましょう。

例えば、あなたが「給与上がってないし、別に景気良くなっていると思えないな」と感じたとしましょう。

 

 

しかしながら、それに対して例えばエコノミストだか経済学の教授がこういったらどうでしょう。

「君!君!それは努力が足りないだけだよ。現に金融緩和で株価は高くなってるし、円安で大企業は最高益を出しているじゃないか。賃金だってここ15年ほどで最大の水準だと内閣も発表している。何を言ってるんだ本当に。クルーグマン教授だって言ってるんだからね。」

 

 

おそらくこう言われると以下のように思うのではないでしょうか。

 

「そうか。自分の努力が足りないだけで世の中は景気がいいんだな。有名な教授も言ってるんだし自分の勘違いだろう」

 

 

まさに自らの感覚や理性を信じられなくなっている典型的な例です。

 

もちろん自助努力による改善を私は否定しませんが、「本当は景気が悪いのではないか」という感覚が当たっている可能性をいとも簡単に捨てているのがいわゆる「悪夢」なのです。

 

学問というと「感情を廃してやることこそ当然である」という考えが今は常識となっていますが、本当にそうでしょうか。

 

実は、本日挙げているサミュエル・テイラー・コールリッジという人はこの学問について「感覚を捨てたものである」という一般的な学問認識とは正反対のことを言っています。

 
しかしおよそ学問においては、部分と部分の相互の関係、そして部分と全体の関係が、諸部分の観察から抽象化されたり一般化されたりしたものではなく、精神の中に起源を持つ真理によってあらかじめ定められたものであるならば、・・・そこに法則が存在すると私たちは断言するのです。

サミュエル・テイラー・コールリッジ『方法の原理』

 

これと似たことを別のところでコールリッジはこう述べています。
真理とは、私たちの知的特性にふさわしい目標でありまた知性と徳性とが合一する点でもあって、それ故私たちに理解しうる形で、外界から精神へと反映される前に、まず内面に見出されるべきものであり、貧しい者も豊かな者も、人間的「存在」の正しい形成の導き手及び目標として、宗教的敬意を払わなければならないものなのです。

サミュエル・テイラー・コールリッジ『方法の原理』

 

学問における真理の獲得は我々の知性と徳性が交わるものだと。

我々の内面に何か表出することなく何も獲得しえないと。

 

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■コールリッジが現代人に示唆していること


よく専門家や評論家、政治家などなど我々からすると「頭のいい人」は「客観的」「事実に基づく」などという言葉を愛好します。そして「だから素人は黙れ」と暗に示すわけですね。

 

しかし誤解を恐れずに言えば、こんなものは学問ではありませんし、むしろ「嘘を流しているのではないか」と疑う格好の対象と言って良いでしょう。

 

ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテという歴史上の中で数えてもかなり高貴な存在がいますが、彼は近代という時代を評して以下のように述べています。
あらゆるものが退歩し衰えゆく時代は主観的な傾向がある。それに反して、あらゆるものが進歩しつつある時代には、客観的な傾向がある。われわれの今の時代は全く退歩しつつある。なぜなら主観的であるからだよ。

エッカーマン『ゲーテとの対話』

 

ゲーテはここで近代が作り出したものの見方を近代以降の人間が「客観的」と述べる状況について極めて主観的なものの見方しかできない人間だと皮肉っているのですが、まさにこれは金言です。

 

こういった傲慢な人間が幅を利かせている時代にあって我々がすべきは「徹底的に精神が納得するまで疑う」以外にはないでしょう。

 
人間の心がまるでそこが宴会場ででもあるかのように、今必要とされる様々な知識を、受け身の精神に詰め込む助けをするのではなく、自分自身が取り入れ、自分のものとし、自らの成果として再生産しうるような知識のみを希求する生成的な力を、徐々に呼び覚ますような状況関係に、精神をおいてやることなのです。

サミュエル・テイラー・コールリッジ『方法の原理』

 

最近、私自身こういう考えになったのは「専門家」「エコノミスト」「評論家」「外資系コンサルタント出身」「会社経営者」の数少ない人々が「特定の団体」や「個人の利益」に誘導するために自説を作り上げている例を多数見かけるようになったからです。

 

彼ら・彼女らは手段を選びません。

色んな理論をつぎはぎしてもっともらしく見せるといったことも平然とやり始めています。

 

コールリッジが教えてくれるのは自らのリアリティを軽視して、誰か出した料理を何も考えずに

食い漁るなということです。最近の詐欺師は昔のように分かりやすくはないそう考えなくてはならない時代だと個人的には思っています。

 

 

 

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■合わせて読みたいオススメの本


最後に合わせて読みたいオススメの本を記載いたします。

2018年もRead For Actionをよろしくお願いいたします。

 

ギルバート・チェスタトン『正統とは何か』

ジャンバッティスタ・ヴィーコ『学問の方法』

デイヴィッド・ヒューム『人性論』

マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』

ハンナ・アーレント『暴力について』

 

*ヴィーコについては下記記事にて過去に紹介しております。もしよろしければご覧ください。

【第六回】論争の余地なきおすすめの本ージャンバッティスタ・ヴィーコ『学問の方法』ー:Read For Action ブログ

 

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