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書評:AI時代にこそ読みたい”技術論”の名論考

書評:AI時代にこそ読みたい”技術論”の名論考

木田元 著/マイケル・エメリック 英訳『対訳 技術の正体』(株式会社デコ)

1993年に論壇誌に発表され、2013年に流麗な英訳とともに1冊の書籍となった名論考。

英訳をした日本文学研究者のマイケル・エメリック氏は、「9.11」とのやや不適切な比較によって3.11と名付けられた、あの悲劇(東日本大震災)に思いを馳せつつ、「3.11は私たちにこの領域(自然と人工)の不可分さをつきつけたのではないか」と述べ、原著者である哲学者・木田元氏の言葉に耳を傾けるべきと言う。

東日本大震災から7年と半年が過ぎた今でも、そしてこれからも、繰り返し読まれるべき小冊子だ。左ページに木田元氏の日本語が、右ページにエメリック氏の英語が配置されている。日本語と英語の両方の言語で通読できる仕組みだ。読書家や日本の英語学習者だけでなく、海外の読者にも広く読んでもらいたいとの意図が、強く伝わってくる。

まず、エメリック氏の英訳について述べておこう。書評者は、訳文の巧拙を云々できるほどの語学力を持ち合わせてはいない。しかし、日本語を横目で見ながら、ゆっくり丁寧に音読をしてみると、その訳文の美しさと正確さに、誰もが気づくと思う。

私の敬愛するロシヤ語翻訳者でエッセイストの米原万里氏(故人)によれば、「翻訳は女に似ている。忠実なときには糠味噌くさく、美しい時には不実である」とのこと。この格言のオリジナルの出典はわからない(知っている方、ぜひお知らせください)。もちろん、この格言は、翻訳の難しさのことを言ったものである。

だとすると、エメリック氏の英訳は、「貞淑な美女」だ。格言の伝えるところの見事な例外だということになる。

だが、エメリック氏が貞淑な美女を描き得た理由は、文学者である本人の力量だけでなく、原著者である木田元氏の、論述そのもののスタイルと内容にも求められるだろう。

というのも、木田元氏は、「科学」(サイエンス)と「技術」(テクノロジー)の起源と本性に関する、きわめて普遍的な議論を展開しているからである。

氏によれば、サイエンスの発達がテクノロジーを生み出したのではない。その逆なのだ。

「むしろ、技術が異常に肥大してゆく過程で、あるいはその準備段階で科学を必要とし、いわばおのれの手先として科学を生み出したと考えるべきではないだろうか。」(p.56)

私たち人間は、技術は理性の所産であって、「人類が理性によってコントロールできないはずがない」(p.54)というのは、「安易な、というより倨傲(きょごう)な考え方である」(p.60)。

木田氏は、大震災の起こるずっと前から、あるいは、氏が強烈な体験をし、「既視感」を覚えたという第二次世界大戦のころから、こういった人間の倨傲、傲慢、思い上がりを実感していたに違いない。

原子力エネルギー技術だけでなく、人工知能(AI)、情報工学、遺伝子操作、生命工学、などなど、人類は、さらに肥大化し、自己増殖する“怪物”を生み出し続けている。これらを、私たちは飼いならすことができるのか。彼ら怪物たちは、人間のことなどお構いなしに、私たちに対して牙をむくことはないのだろうか。

この本は、「技術の正体」のほかにも、木田氏の戦争体験を記した「春の旅立ち“風の色”」、「ふたたび虚構に立って」の小品と、やや長めの「まえがき」にも、読みどころが満載だ。現実に根差したクールなまなざしと厳密なロジックが、情緒あふれる文体に見事に融合している。そう、木田元の文章も、エメリックの英文と同様、貞淑で美しい日本語で書かれているのだ。

そんな哲学者・木田元も故人となってしまった。若きアメリカ人の日本文学研究者が、この論考をふたたび見事な英語で訳してくれた仕事を、また、さらに若い誰かが、引き継いでいってくれればと願う。

木田元氏の直筆のサイン

100ページに満たない小冊子だが、いや、それだからこそ、いつも手元においておきたい座右の書となるべき名著だ。

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さらなる読書に進みたい方には、以下をお勧めします。

◆マルティン・ハイデッガー『技術への問い』(平凡社ライブラリー)
◆ユルゲン・ハーバーマス『イデオロギーとしての技術と科学』(平凡社ライブラリー)
◆加藤尚武『ハイデガーの技術論』(理想社)
◆ヒューバート・ドレイファス『コンピュータには何ができないか』(産業図書)

(文責:原田広幸)