book review

【書評】志乃ちゃんは自分の名前が言えない

【書評】志乃ちゃんは自分の名前が言えない

今回は、マンガを紹介したい。

押見修造 作『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』太田出版
http://www.ohtabooks.com/publish/2012/12/07000002.html
http://webcomic.ohtabooks.com/shinochan/

タイトルから類推できるだろうか。
本書は、「吃音」(キツオン)をテーマとするマンガである。

吃音。「どもり」とも言われるが、何らかの原因によって、
「お、お、お、・・・」などと、言葉が出なくなってしまったり、
同じ音を繰り返してしまう身体現象だ。

***

主人公は、高校生の大島志乃。
志乃ちゃんが「自分の名前が言えない」のは、吃音のせいだが、
うまく言えないのは、「大島」という名字のほうだけ。

なぜか、母音から始まる言葉がうまく言えないのだ。

高校の最初の授業、全員が事項紹介をする場面からストーリーは始まる。
いよいよ、志乃ちゃんの番がまわってきたとき、
「オオシマ」と発音できずに、とっさに「シノ・オオシマです・・・」と
下の名前から言ってしまう。

教室は爆笑の渦に巻き込まれ、事情を知らない担任の先生も呆れ顔。

こんな具合だから、志乃ちゃんには友達が出来ず、
先生も、「頑張って直そう」と、トンチンカンなアドバイスをしてくる。
こうして、志乃ちゃんは、ますます落ち込んでしまう。

たった一人、あるクラスメートが友達になってくれたが、
その子、加代は、弾き語り女子。彼女も孤独な女子高生だ。

歌が下手だった加代は、志乃とデュオ結成を呼びかける。
自分がギターを弾き、志乃に歌を担当してもらおうというのだ。

吃音の志乃が歌えるのかって?
なぜか、歌ならどもず歌えるのである。

・・・さて、こうして、ストーリーは、
孤独な女の子二人の友情物語として展開していくが、
読みどころは、吃音に悩み続け、吃音と共存していこうとする、
志乃の孤軍奮闘ぶりだ。
話の続きは、ぜひマンガを読んでいただきたい。

***

吃音という現象は、100人に1人いるとも言われ、
映画『英国王のスピーチ』で有名な、ジョージ6世(現・イギリス女王エリザベス2世の父)や、
マリリン・モンロー、宰相・田中角栄も吃音だったと言われている。

吃音と言ってもいろいろで、
言葉がなかなか出てこない「難発」や、同じ音を繰り返してしまう「連発」など、
さまざまな症状(現象)がある。
吃音がはたして病気なのか障害なのか、原因は何なのか、
医学的にも、未だわからないことが多いという。

志乃が歌えるように、リズムに乗ると吃音が出ないというのも、
とても不思議だが、非常によくある現象だ。

この本を通して、私が深く考えさせられたのは、心と身体の関係についてである。

コーヒーを飲もうとして、カップに手を伸ばす。
トイレに行こうとして、席を立つ。
カウンターの向こうにいる店員に振り向いてもらうために、「すみません」と声を掛ける。

いずれ場合も、何かをしようとする意思(心)と、身体がリンクしている。

16世紀に、デカルトが「我思う故に我あり」を発見して以来、
「心身二元論」(純粋な精神としての心と、物体としての身体を分けて考える思考)は、
長らく近代社会の人間観を支配してきた。
しかし、私たちは、普段は、心と身体が別々だとは感じることは、ほとんどない。

一方、金縛りにあって動けないとき、恐怖で腰が抜けたとき、・・・といった、
極限的な状況では、心と身体が、あたかも別々に存在しているかのように感じる。

吃音の志乃ちゃんも、私たちの極限状態のときのように、
心と身体の分離と接続を、
スイッチ・オフとスイッチ・オンを、
常に、感じてつつ生きている。

盲目や聾などの障害をテーマにした本を上梓してきた、
東工大准教授の伊藤亜紗さんの新著『どもる体』 (医学書院、2018)によれば、
私たちは、「ノる」と「乗っ取られる」の境界を生きているという。
身体は自分の心が乗ったり、なにかに乗っ取られたりするものなのだ。

『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』の主人公は、
「話せる」ということ、つまり、
「心と、発声(身体運動)がリンクしている」ということが、
じつは、とてもヘンな現象だということを気付かされてくれる。

人間の身体って、ほんとうに不思議だ。

参考:伊藤亜紗『どもる体(シリーズ ケアをひらく』(医学書院)
https://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=105357


(文責:原田広幸)